ショブドとニ・ショブド

2011年1月18日

タンガイルで詩人に会った。
ファルックという、ぼくとほとんど歳のかわらないくらいの青年で、
短い時間ではあったけれど、
詩について語り合った。

聞こえる音と聴いている音について。
ふだん日常生活を送っていて、
人は聞こえてくる音をすべて聴いているわけではない。
好ましい音のみを聴き、好ましくないものをできるだけ聴かないように、
音を聴き分けながら過ごしている。

彼は詩の中で、どんな音を自分が聞き、聴き取り、
好ましく思い、そしてそれをどう感じているのか、
それを実践しているのだという。

聞こえてくる音とじっさいに聴いている音。

そしてそこから敷衍して、
紙に記された詩篇にも同じ事が言えるのではないかという話になった。

文字と白紙。

彼は大学での知識もなく、
バングラデシュにいてフランスで150年前に語られたことについて 知るすべもないのにもかかわらず、
文字と白紙の緊張関係について目を輝かせて語っていた。

ショブド(音)とニ・ショブド(無音)。

詩がショブドで語られるかぎり、
そこにはニ・ショブドの詩がある。

バングラデシュでの古くて新しい
詩との出会いだった。

 

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